明日は
そして、普通にごはんを食べたりして、実家に泊まった。義姉が中森明菜が自殺未遂した、って教えてくれた。
だんだん陣痛がきつくなってきて、午前1時ぐらいに病院へ行った。兄がクルマで連れて行ってくれたんだっけ?おとうさんが連れて行ってくれたんだっけ?あれ?思い出せないぞ。おとうさんは仕事場から電車で実家へ来たはずだから、やっぱり兄が送ってくれたんだ。
実家から歩いても10分かからない病院に通院していて、お産もそこでの予定だったので、予定通り。ただ、7月24日が予定日で、わたしはそれより遅れる、と思っていたので12日も早まったのが意外だった。自分の誕生日が7月29日なので、いっしょの誕生日になるといいな~、などと自分で勝手に予定日より遅れる、と思い込んでいたっけ。
予定日が7月24日だったので、免許の切り替えはおとうさんに7月15日に試験場へ連れて行ってもらう予定にしていたっけ。今から考えると無謀だった。(^^;)
さて。午前1時ぐらいに入院して。陣痛室に入ってからが長かった。もともと陣痛の間隔が短かったのに、痛みは増すばかり。このときは母がずっと付き添ってくれたので、不安はあまりなかったけど、どれだけ痛みが強くなるのかは未経験なので、予想できなかった。
なかなか産道が規定の値まで大きくならなかったけれど、助産師さんが時々見に来てくれて、まだ指4本だけど、なにかがあるのでもう分娩室に入ってよいでしょう、とお医者さんに電話してくれて、分娩室に入った。お医者さんはほん近くの自宅におられるので、電話があればすぐにきてくれる。12日の朝7時10分前ぐらいに入ったよね。
わたしが陣痛室にいる間に、一人の女性がお産をしたので、なんとなく様子がつかめた。
分娩室に入ると、いきんでいい、と言われてとってもうれしかった。それまではいきんじゃだめだから、と抑えるのがしんどかったので。分娩台に上がるときも陣痛がきて、おさまるのを待って台に上がった。
しばらく奮闘して、無事にかつクンが生まれた。羊水がばしゃ、っと一気に出た感覚があって、そのときにかつクンが一気に出てきたんだと思う。そして、その次の瞬間には産声が上がったので、びっくりした。少し間があってから産声を上げると思っていたから。
生まれてから足ががたがた、震えていた。力が足に入っていたからだよね~。生まれるときに会陰を切るというのがこわかったんだけど、わたしの場合は、裂けてしまったの。それでお医者様が傷口を縫う間、足がぴくぴく痙攣していた。
分娩室に入ってから20分後にはかつクンが誕生していたと思う。身長48センチ、体重2,900グラムだった。
ただ、助産師さんの帰宅時間が迫っていたか遅れていたのだろう、生まれてすぐに助産師さんに渡されたかつクンは、産湯の後そのまま新生児室に行ってしまって、わたしはかつクンに会えなかった。そして約8時間ほどもそのまま会えなかったのだ。
産後2時間ほどは、急な出血があったりするといけないので、分娩室のそばで寝かされていたら、母とおとうさんがやってきた。もうかつクンの顔を見たという。え~~~、わたしはまだ見てないよ~~、普通は当然わたしが一番に会えるはずなのに~~~!!
そして、2時間が経って、病室に運ばれたわたし。会陰をぬってもらったところが痛くて。それでもトイレは自分で行くようにと言われた。でも、起き上がるのも無理なくらい痛いのだ。でも、かつクンに早く会いたい。ようやく午後4時ごろになって、痛みをこらえつつ、病室を出てスロープを降りる。階段を下りたほうが早かったかも?今になって思えば。でも一歩の歩幅が5センチか10センチぐらいしか歩けなかったから、やっぱり距離が長くてもスロープで降りたのは正解だったと思う。
一生懸命に歩き続けて新生児室に行ったら、看護婦さんが(当時はまだ看護師とは言わなかった)かつクンを抱かせてくれた。かんど~~~~!!の対面。
でも、わたしには違和感があった。おいやめいの小さいときを見てきたから、わたしの中で生まれてくる赤ちゃんはおいやめいに似ているはず、という思い込みができてしまっていた。それで、おとうさん似のかつクンを見たときに、「あれ?」と思ったの。
なにはともあれ、かつクンと会えてほっとしたのであった。
あれからもう18年も過ぎたなんて。なんだか信じられないけど、時は確かに流れたのだ。今のかつクンは身長どれぐらいなんだろう?170センチ前後だと思う。体重はかつクンが嫌がるだろうから書かない(大体知っているけど)。
あの片腕で抱けたほどの小さな赤ちゃんが、りっぱに育ったものだな~~。
かつくん、生まれてきてくれてありがと~~!!
by jade03 | 2007-07-11 23:28 | 私のこと